店主よりお客様へ

ごあいさつ

人形処橋本屋のホームページにお立ち寄りいただきまして誠にありがとうございます。

節句人形の飾り方は、ひな人形で言えば七段飾りや三段飾りが主流であった昔とは様変わりし、全体に小型化の方向に向かっています。このことはけっして悪いことだとは思いませんが、気になることが一つあります。

それは、小さくなったお節句の人形が、お子様のための小型化なのかどうか、大人の都合の小型化ではないのかという点です。

当然、お節句はお子様のためになることでなくてはいけません。お子様にとって毎年の楽しい行事であること、人形そのものがお子様が大人になってからでもその人の感性に応えられる作品であること、何十年たっても新しい発見があり、いつまでも飽きがこないことが大切だと思います。節句人形はその人の一生のお人形だからです。

お子様のためのお節句人形とは何か、お節句を通じて親子のあり方はどうあるべきか、人形に込められた作者の思いや人形にかかわる伝統の技術を皆様にお伝えし、何を求め何を飾ったらよいのかをアドバイスさせていただきたいという気持ち、そして私たちのお人形やお店にかける情熱を、このホームページを通して感じ取っていただければ、これに勝る喜びはございません。

当サイトに掲載の写真はすべて私自身が撮影したものでございます。表情などが分かりやすいようになるべく大きく撮ることを心がけましたが、やはり、人形は実物をご覧いただいてその美しさや魅力を感じていただくことが大事だと思います。当サイトを参考にしていただきながら、購入をご検討の際にはぜひご来店いただきたくお願い申し上げます。
それでは、ゆっくりと人形処橋本屋のサイトを散策してください。


(さらに見る)

自己紹介

あらためまして、店主の長谷部宏と申します。昭和30年生まれ、水瓶座、B型。よく橋本さんという名前かと思ったら長谷部さんなんですねと言われます。サラリーマンをしていた私の父と看護婦をしていた私の母が、昭和34年に独立して今の橋本屋を創業しました。当時は乳母車や三輪車を扱っており、太田橋という橋がそばにあったので「橋本屋ベビーセンター」という名前にしたそうです。しばらくして人形も取り扱うようになり、「人形処橋本屋」となりました。


インターネット

1996年9月アメリカ大リーグで野茂投手がノーヒットノーランを達成しました。日本人の快挙として当時大々的に報道されました。私がその情報を日本のテレビニュースより早く知ったのがインターネットでした。
当時普及し始めたインターネットに初めて接続したその日、従業員も呼んで「インターネットはこんな感じだよ」と説明しながら橋本屋のパソコンで初めて映し出した検索サイトの項目の中に、この快挙の事が伝えられていました。当時はインターネットに接続するのに高額な電話代がかかるので、閲覧後はすぐに接続を切るのが普通でした。そんなとき偶然にもこの大事件の事が伝えられていたのでした。


当時はこんな感じのパソコンでした。

野茂投手がアメリカに渡って野球をやっていることは知っていましたが、まさかこんなノーヒットゲームなど最初は冗談か何かの間違いでは?と思っていたのですが、数時間後にテレビのニュースでこの事実を知った時に、インターネットの無限の可能性を感じることになりました。
早速ホームページ制作の勉強に取り掛かり、約1か月後に簡単な人形処橋本屋のホームページが出来上がり現在に至っています。


2000年頃の人形処橋本屋のHP。